Want Keep Place




「……やだ」
 そこは小さな街の一角。
 幼子が溢れる熱で濡れた頬を拭いもせずに、重層なる鎧で身を包んだ女の荷物の端を掴んだ。
「やだじゃない」
 困ったように女の返す声も、僅かに湿り気を帯びて。
 艶やかな黒髪を肩で切り揃え、聖なる加護を受けたる鎧を纏い、頸からは白金色の、古代のアクセサリー。彼女は、神へ身を捧ぐ聖騎士だった。
 王国の命を受け、死地――否、戦地へと赴く彼女。魔王討伐と銘打って、古城から溢れた悪魔を殲滅するべく騎士団が立ち上がったのだ。闘いでは、多くの死者が出ている。その余波では、多くの狂人が出ている。きっと、無傷で帰る事は赦されないだろう。それは、幼く、冒険者ですらない幼子にも判っていた。
「我侭を言わないで。……大丈夫、私は必ず帰って来るから」
「おねえちゃん」
 少女に嘘をついた事が一度も無かった彼女のその言葉を、信じる事も出来ない。
 窘めるだけの、気休めにさえならない聖騎士の言葉に幼子は再び泣き出しそうになりながら、彼女を見上げた。潤む空色の眸。ぐしゃぐしゃの顔に、震える声。
「……いっちゃやだよう」
 その手を離せば、騎士である彼女は旅立つだろう。騎士である彼女は世界の為に剣を取り、その身を棄てて、闘うだろう。そうして、二度と彼女と会う事は無いのだろう。それら凡てが幼子の涙を止めずにいた。少女だって、引き止めてはならないと知っている。幼いながらも、世情の不安定さは判っていた。
 けれど、だからこそ。だからこそ、引き止めたかった。その身を棄てて、欲しくはなかった。
 泣きじゃくる幼子に、女は躊躇いの色を浮かべ、口唇を噛み締めた。その躊躇いは旅立ちへの躊躇いではなく、少女を遺すという躊躇い、戸惑い。きっと少女はこれから未来も泣くだろう。涙は嗄れても魔物が絶えても、還らぬものを思って泣くのだ。
「私は世界を鎮る為、往かなければならない」
 泣きじゃくる幼子の声。胸が締め付けられるようなその泣き声に、騎士の脳裏で、何度も家族から聴かされた言葉が幾重も繰り返される。
 ’この街から聖騎士が出たとなれば、素晴らしいこと’
 ’世界を護り、名誉ある死を迎えることが出来るのだから、誇りを持て’
 名誉があって何になるのだろう。死して何を得るというのだろう。死して酬得る名誉など、何の意味があるのだろう。死せば護ることなど出来る筈もなく、死せば得るのは何も届かない遠い遠い、安らぎ。
「私は、皆の生きる世界を護るから」
 ――嗚呼本当は、名誉なんて要らなかったのに。何よりも欲しかったのは、大事な人達を、護る事の出来るちから。けれど、争いはそうはさせない。人と人、魔物と人との争いは絶えず、延々と繰り返されるかなしみ。
 きっと、今日もどこかで誰かが泣いている。いつも、どこかで。

 少女の濡れた頬を手のひらで包むと、とてもあたたかかった。腕に抱けばその体は小さくて、けれど生きている。その熱に触れるのは最期だとそう己に言い聞かせながら、名誉ある聖騎士は唯、声を殺して泣いた。



fin




>名誉とそして> Want Keep Place

 クルセイダー様です。
 安らかなる場所さえ護れたら、それでよかった。聖騎士である前に、ひとりの人間であるのだから。

 2005/07/13 sawakei